アスリート対談「ケガからの第一歩」

毎年3月8日は国連が定めた「国際女性デー」です。女性が健康で明るく、充実した日々を送るために大切なこととはなにか。女子サッカーの村松智子選手とテコンドーの山田美諭選手は、共に前十字じん帯断裂という大ケガを克服した経験があります。二人が強調するのはメンタルの重要性。「アクシデントに悩まされている方々へ、わずかでも勇気づけることができれば」という想いを込めて、この対談は実現しました。

村松智子(写真・中央)
Tomoko Muramatsu
1994年、東京都生まれ。日テレ・東京ヴェルディベレーザ所属。ポジション:ディフェンダー。背番号3。2015年日本女子代表(EAFF女子東アジアカップ2015決勝大会)/2019年プレナスなでしこリーグ1部優勝、プレナスなでしこリーグカップ1部優勝、2019皇后杯優勝 国内3冠達成。/2020皇后杯優勝

山田美諭(写真・右)
Miyu Yamada
1993年、愛知県生まれ。2016年4月入庫。テコンドー-49kg級。2017年~2019年、2022年全日本テコンドー選手権優勝/2019年ローマグランプリ3位/2021年東京2020オリンピック競技大会5位/2022年ボスニアヘルツェゴビナオープン2位

司会=常田幸良(写真・左)
Yukinaga Tsuneda
東京都生まれ。1993年東京ヴェルディ株式会社に入社。チケッティング、スポンサーシップ、ホームタウン等の事業領域全般や経営サポート等の業務に携わった。2023年より城北信用金庫にて『JOHOKU ATHLETES CLUB』を中心にスポーツを通じた地域活性化に従事。

ケガの治療と同時にメンタルのケアが大切

――アスリートにとってケガは避けて通れない問題です。大ケガを負った直後、次に向かうマインドリセットはすぐにできましたか?

山田:私は1回目と2回目で全く違って。

2回やっているんですね。

山田:そうです。初めて右膝の前十字じん帯を断裂したのは大学4年生の時、リオオリンピック代表選考会の試合中で。「テコンドーを辞めようかな」ってくらい気持ちが下がりました。
2回目の時は、どれくらいリハビリがかかって、どれくらいで動けるようになるかっていうのが分かっていたので、すぐに逆算して、「今なら絶対間に合う」とポジティブに考えました。「やっちゃったのは仕方ないから、もう先を考えよう」と、気持ちを切り替えられました。

1回目の経験があったから、2回目はすぐ逆算できたってこと?

山田:そうですね。1回目のケガで精神力がついたというか、ハングリー精神を発揮したというか。ケガからの復帰後に成績がすごく伸びたんです。練習に対する意気込みも全部変わって。それもあって2回目は気持ちの切り替えがとても早かったですね。

ケガをしたことによって成長したというのは、アスリートじゃないと分からないところだね。

山田:ケガをしたこと自体は良くなかったけど、いろいろな経験ができたことは収穫でした。
今はもう、なにがあっても自分のメンタルが揺らぐことはないと思います。競技の面で。

村松選手はいかがですか。

村松:私は前十字じん帯を3回切ってしまって、1回目の時は何が起きたか分からなくて。膝が変なほうに向いていると思ったんですよ。ちょうどU-20のワールドカップ開幕の3日前だったので、急いで検査に行って。そしたら「前十字じん帯が切れている」って言われたけど、よく分からなくて。

山田:初めてだとピンとこないですよね。

村松:「なんだそりゃ」みたいな(笑)。「とにかくメンバーを入れ替えよう」と言われたときに「ああ、結構やばいんだ」と思いました。それからは考える暇もなく進んでいって、チームドクターにすぐ病院の手配をしてもらって、最短で手術を受けました。そのケガから復帰して2カ月後の練習試合中、また右足のじん帯が切れちゃって。「こんな簡単に切れるの!?」ってびっくりしました。

村松:リハビリは時間がかかるし、きついし、大変なんですけど、時間が解決してくれるっていうのは1回目の時に学んだので、もう仕方がないと受け止めました。リハビリはわりと順調というか、プラン通りに進みました。

3回目はいつだったんですか。

村松:3回目に左足をやったのは復帰して2年くらい経ったときで。その間に日本代表に初めて選ばれたり、自分としては充実したシーズンを送っていたので、また切れたときは「もう辞めよう」と思いました。これもまぁリハビリが大変で。なかなか苦労して。順調にいかずに、何回も何回も途中で辞めようと思いました。

ケガに惑わされず常に平常心を保て

――ケガから復帰する過程で「私ってメンタルが弱いのかな」「こんなんじゃないのに」と思ったことはありますか。

村松:阪口夢穂さんという先輩と一緒にリハビリしていたんですけど、そのときの私はテンションが10の日もあれば0の日もありました。阪口さんからは「お願いだから常に5でいてくれ」と言われていました(笑)。「膝の調子が良かろうが悪かろうが全部受け入れろ。自分の膝なんだから。ケガにいちいち左右されてはダメ」と。 今はそれが「すごい大事な言葉だったんだ」って思います。

貴重なアドバイスですね。山田選手はどうですか?

山田:私、大学生の時は結果を出せなかったんです。海外の試合はいつも1、2回戦負けで。コーチにも「次、1回戦で負けたら代表から外すぞ」と言われるくらい(笑)。だから試合が怖くて。
けど、ケガを経験した後に「これ以上悪いことは起きないだろう」と発想を切り替えたんです。そしたらハングリー精神がついて、練習に対する意気込みも変わった。自分の体もトータルで見直すことで、競技の成績も少しずつ出てきて。精神的にすごくラフになれました。

2回目のケガをした時はどうでしたか。

山田:リハビリがあんまりスムーズにいかなくて、試合の1カ月前にやっと実戦練習に入りました。正直かなり厳しい状況ではあったんですけど、「これで勝てたら格好いいじゃん」みたいな感じで、いい意味で開き直っていました。自分でもめちゃめちゃタフになったなと感じましたね。

リハビリを乗り越えた先に喜びが待っている

――村松選手にお聞きしますが、経験値を積みながらメンタルが強くなっている意識はありますか。

村松:ありますね。例えば、試合を楽しめるようになりました。サッカー選手1年目は試合をするのが怖くて、「もうボール来ないで」「失敗したら怒られる」と常に考えていて。それが経験を重ねるうちに「サッカーが楽しい」っていうふうに変わっていって。

ケガを克服したことで自信がついてきたんですね。

村松:大きい試合でも楽しめるメンタルは、リハビリで培われた気がします。極論を言えば、辛いことがあっても「サッカーができていればいいじゃん」って思えるようになった。

山田:本当にそうですよね! 競技ができないより全然いいじゃんって。

村松:めっちゃ思いますよね。

山田選手も同じこと感じる?

山田:いや~、一緒ですね。ケガする前は「きつい練習は嫌だ」と思っていたんですけど、ケガから回復したら「こんなにテコンドーが好きだったんだ」って感じたんです。 それからはきつい練習もすごく楽しんで、自分から追い込めるようになれました。

入院時に出会った同室の方の声援が今も胸に

――ケガから復帰するまでに、周りの人にかけてもらった言葉で救われたことはありますか。

村松:入院していた時に出会った同室の方の言葉ですね。私がサッカー選手というのを知って「走っている姿でいいから見たい」という言葉がめちゃくちゃモチベーションになっています。こんな姿じゃなく、試合でサッカーをしている姿を見に来てもらいたいなと思って。

同室の方に救われた?

村松:はい。その方は内科系で結構大変な病気と闘っていました。私が退院した後も交流を続けていたんですけど、亡くなってしまって。私のプレーを見せられなかったのが今も心残りなんです。けど、いつも見ていてほしくて、「今日もケガしないようにお願いします」と空にお願いしてから試合をしています。

山田:めっちゃいい話。やばい涙が。

そんな思いで毎回ピッチに立っているんだ。

山田:なんていい話なんだろう~(涙)。

プロの選手は、そういう人がいるから頑張ろうという気持ちになれるんですよね。山田選手はどうですか。

山田:1回目のケガをしたとき、母に「私の気持ちなんか分かるわけない」と言ってしまったことがあったんです。そしたら「美諭が健康でいてくれれば、それだけで私はいいから」って言ってくれて。 「えっ、そんだけでいいの!?」って(笑)。そしたら逆に親のために頑張りたくなって、そこから気持ちが上がりましたね。

親の愛に触れたんだね。

山田:家族の支えは大きかったですね。2回目のケガのときに「歩けるようになったけど、膝が痛い」と私が言ったら、「いや、歩けるようになったのはすごいよ」って、ちょっとしたことで私の気持ちを上げてくれて、すごくありがたかったです。

心に残る言葉はほかにありましたか。

山田:当金庫の大前理事長ですね。ケガをしたのが入庫直前で、しかもその試合を理事長が見に来てくださっていたんです。「ああ、もう私、内定してたけど入れないかも」って思っていたら、帰り際に理事長から「美諭ちゃん、春から待ってるよ」と声をかけられて。それがめちゃくちゃうれしかった。

うれしいよね、それは。

山田:支えてくれた人たちのために頑張りたいという思いがあったから、私はこれまで競技生活をやってこられたんだと思います。

心は寄り添いながら普段通りに接するのがいい

――もし、同じような思いをしている人が身近にいたときは、どんな接し方をされますか。

村松:自分がケガしているときは変に気を使われるのが嫌だったし、敏感になっていたので、普通に接するというか、下手に励ますことなく話しかけるよう意識していますね。

ケガに悩んでいる人は身近にいますか。

村松:サッカーチームは1年に1、2人くらいケガ人が出ちゃうんですね。手術して真面目にリハビリすれば、時間はかかるけど絶対にサッカーできるっていうことをちゃんと教えてあげたいですね。

山田選手はいかがでしょう。

山田:ついこの間、前十字じん帯を損傷しながら試合に出た子がいたんです。 私も村松選手と同じで、気持ちは寄り添いながら、普段通り接するようにしていました。

なるほど。お二人ともとてもいい話ですね。

山田:本当に今日話せてよかったです。

村松:私もうれしいです。“ケガあるある”じゃないけど、こういうことを話せる機会があって、自分にとってすごく良かったです。

一人で悩まず、他人に甘えてたくさん寄りかかろう

――同じ境遇の人は、老若男女問わず大勢いると思います。最後に、そういった方々へ、お二人からメッセージはありますか。

村松:周りの人が手を差し伸べてくれたとき、甘えちゃっていいと思います。自分一人で乗り越えようと思わずに、感謝の気持ちで甘えて、たくさん寄りかかって、支えてもらって、乗り越えていくのがいいのかなと思います。

ありがとうございます。山田選手、お願いします。

山田:私はケガをしたことで、出会った人たちや生まれた時間がありました。心の痛みとか、ケガで得られるものもたくさんあると思います。怖がらずにリハビリに取り組んで、その期間にできることを一生懸命やっていったらいいと思います。

ありがとうございました。

国際女性デー(International Women’ s Day)とは?
女性の地位向上、女性差別の払拭等を目指す国際的な連帯と統一行動の日です。
国連は1975年、3月8日を「すばらしい役割を担ってきた女性たちによって、もたらされた勇気と決断を称える日」として、正式に国際女性デーに制定しました。
イタリアでは3月8日に男性から女性に愛や幸福の象徴でもあるミモザを贈ることが習慣となっています。
この文化が世界的に広がり、黄色いミモザが国際女性デーの象徴となりました。

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